ノベルゲーム制作サークル「イトQソフト」です。 月に一度ぐらい更新します。
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国シリーズとは、作家KAZUKI氏の手による一連のノベルゲーム作品群であり、これまでに「みすずの国」「キリンの国」「雪子の国」「ハルカの国」の4作品が発表されている。
それぞれの作品は、世界観や設定、登場人物の一部を共有している。世界観についてものすごくざっくりかいつまんで説明すると、日本には天狗と呼ばれる超能力を使える人たちがいて、国を作っていたり通常人類と対立していたりする。そうした和製SFとも言える世界の中で、登場人物たちが冒険する一大ファンタジーエンターテイメントなのである。
……どうも私は説明下手なので、このように安っぽい紹介になってしまうのだが、このシリーズの物語に関しては多くのブログ記事やメディア等に既に紹介されているので、そちらを参照されたい。
私がここで語りたいのは、この作品の演出のことである。ちょうど先日、最新作「ハルカの国」を最後までプレイした。そこで色々と考えたことがあったので、備忘録的に書く。
「ハルカの国」は、明らかに他のノベルゲームとは違う感触がするのだが、その理由の一つは演出にあると思う。これは完全に勝手な思い込みかもしれないが、この作品はかなり映画的な演出論に基づいて作られているのではないかと感じるのである。
ノベルゲームは、一般的に背景、立ち絵、文章により画面を作る。そこに音を加え、要所ではスチルを表示するというのがオースドックスである。「ハルカの国」の画面も基本的にはそのフォーマットで構成されている。
例えば立ち絵の出し方に、この作品の一つの特徴がある。通常2人以上の登場人物が会話している場面の場合、その人物の立ち絵をまとめて全員分画面に出しておいて要所要所で表情だけ変えていくというのが、オーソドックスな演出である。少し気の利いたゲームだと、会話してる人物以外を暗くしたりして、誰がセリフを喋っているのかをわかりやすくしてあることもある。
だが、この「ハルカの国」で多用されている演出は、セリフを発している人物の立ち絵だけを画面の真ん中に配し、セリフの切り替わりに応じて立ち絵をどんどん入れ替えていくというものである。つまり、Aという人物とBという人物が会話しているときに、AのセリフのときはAの立ち絵だけを映し、BのセリフのときはBの立ち絵だけを映すという感じである。
「ハルカの国」の会話シーンはこの演出が多いのだが、思うにこれは、カメラを意識しているのではないだろうか。向かい合って会話する2人を、ふたつのカメラを切り替えながら撮るように、立ち絵を切り替えているのではないかと思うのである。まるで映画のカット割りのように。空間的な配置を考慮すると、ノベルゲームでよくあるような、立ち絵が横一列に並んだような配置は本来ありえない。横並びで会話はしないからである。横に並んで会話をするというのは、どちらかと言うと演劇的な演出である。つまりステージに立って、観客であるプレイヤーの方を向いて演技をするというふうに。
また、この作品はシーン、いや、シーケンス単位で構成されている。時間とか場所が大きく移動するときにアイキャッチが挟まれるのだが、そのアイキャッチとアイキャッチの間、これがひとつのシーケンスとなっている。そして、特徴的なのがこのひとつのシーケンス内でも、背景がバンバン切り替わるのである。立ち絵の切り替わりをカットとすると、背景の切り替わりがシーンだろうか。そしてそのシーンがいくつか束になって一連の出来事になったのがシーケンスとすると、カット>シーン>シーケンスという映画的な構造になっているように思うのである。
ノベルゲームは基本的に多少動きがあるからと言って背景を頻繁に切り替えたりはしない。背景は作画コストがかかるからである。だがこの作品からは、例えるなら「人物が部屋から縁側に出たのなら、縁側の背景にする。なぜならそういうふうに撮っているのだから」というような理念を感じるのである。
そして、その考え方はスチルにも現れていると思う。この作品では頻繁にスチル、つまり一枚絵が用いられているのだが、例えば動きのある場面のとき、ある瞬間のスチルが表示されて、すぐに次の瞬間のスチルが表示されたりする。まるでアニメーションである。アニメーションのように対象の動きを表現しようとしているのではないかと思う。そしてこのスチルがかなり多い。ノベルゲームの場合、小説のように動きは文章で記述し、プレイヤーの想像力に頼るしか無いところもあると思うのだが、この作品は動きを絵でちゃんと映してくれるのである。
「映像の原則」という、映像演出の技術書として有名な本がある。(著者は「機動戦士ガンダム」シリーズの監督として有名な富野由悠季監督)この本に繰り返し出てくる言葉として、「映像のダイナミズム」というのがある。視覚印象の緩急や強弱により生み出される映像ならではの意味性といった意味でこの言葉が使われているのだが、「ハルカの国」はまさにこのダイナミズムを、ノベルゲームという媒体で生み出そうという試みではないかと思う。
最後に、この「国シリーズ」は、なんというか、いちどプレイして、それから数年経つとふとした時にまた読みたくなる作品である。それはおそらく、舞台・物語・人物・サウンド・グラフィックといった、作品を構成する要素がすべて実感を持って作り込まれていて、その世界に対して郷愁のようなものを感じるからではないかと思う。
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